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お墓の起源を知っておく、縄文時代のお墓事情

冠婚葬祭

縄文時代のお墓と現代のお墓では大きな違いがあることがわかりました。年代が大きく違いがあるので当然考え方の違いがあるとは思っていましたが、それは予想を超えるものでした。

私達のお墓の歴史として、知っておくのも面白いと感じたので記事にしていきます。

死者は恐ろしい?

縄文時代のお墓は遺骸をそのまま土葬していたようです。また、死者は生きているものに害を与えると考えられていたようで、様々な方法で土葬していたといいます。

ほとんどのケースでは、死者の手足を折り曲げて土葬(屈葬)されています。おそらく、死者が生きている人間に悪さをさせないよう施したものと考えられます。

他にも、大きな石を抱えさせて土葬(抱石葬)するものもあったそうです。こちらは魂が抜け出さないようにするためだと言われています。

日本に仏教が入ってくる前の時代の話なので、なかなか理解に苦しむところもありますが、このような歴史があったことを覚えておきたいです。

実は愛情もあった?

多くの縄文人は村落へと続く道に沿ってお墓を作りました。果たして何を意味するのでしょうか。

民族学者の方は「死者を怖いもの」「たたりがあるもの」と考えるようですが、それならば、村落より遠くの場所にお墓を作るのではと個人的に思います。

魚介類や食料などを村落に運ぶ際に頻繁に通ることから、お墓に眠っている先祖忘れないためや元気な姿を見せて報告し、先祖を安心させて通ったと考えられます。

さらに調べていくと、大人のお墓と子どものお墓の考えの違いも見えてきました。子供の村落の近くに多く見受けられたということから、愛しい子供のお墓は近くに置いておきたかったことが伺えます。これは現代では法的にできなくなっていますが、このことには非常に愛情を感じます。

現代と変わらない

現代では、人は死に悲しみ、大切な人の死を花で美しく飾る。縄文時代では村落に続く道にお墓を作る。形は違えど、その心は現代と少しも変わっていないと感じます。